夏終わり、ウイルス元気の秋と冬。なめるとひどいことになる。また脅かしてると言うあほう、おなじあほなら、脅さにゃソンソン。

夏の終りのテレビ名物というと「鳥人間コンテスト」。人力だけでどこまで飛べるかという挑戦は面白く、何十キロも飛んでのけたのは驚きだった。どんなに長く飛び続けてもいつかは着水するわけで、着水前の、水面ギリギリの高さでの、いつまでたっても落ちない操縦者の体力と頑張りを、ハラハラしながら観たものである。

それに比較するのもナンだが、新型コロナは、なかなか着水しそうにない。どころか、毎日の新規感染者数が500人~1000人レベルというのは、たえず上昇しようとする気流がそこにある、ということだろう。上昇気流が健在なうちは、着水はない。

あの100年前のスペイン風邪も3,4年で収束したのだから、COVIT-19もほおっておいてもそのくらいの時間で収まる。という蓋然性はどれくらいなのだろうか。

マスコミは誰が新首相になるかを話題にしているが、去っていく首相が辞任表明当日にまとめさせた総花的プラン以上のものを、同じ自民党の新首相に実行できるはずがない。そんな手品のタネがあるなら、辞めた首相が実行していただろう。それは、感染抑制の公衆衛生作戦にかぎらず、ウイルス常在社会での経済政策・教育運営でも同じである。

いままでにない当たり前の感染対策をやり続けることしかない。ながら、これは勝利を確約できる道でも、義務として盲目的にやり続けるべき王道でも、ない。マスク類や社会距離は、無策のなかの、落ち穂拾いのようなものだ。どかんと目覚ましくフェイズチェンジをもたらす突破口ではないのだ。

21世紀の中頃までにシンギュラリティポイントを迎えるというカーツワイルの未来予測では、120歳という寿命の限界を破る話はあったが、未知のウイルスに勝つ魔法の話はなかった。そんな「定義矛盾的」な方法はないのが当たり前というかもしれないが、シンギュラリティというなら、定義矛盾を乗り越えるくらいの話は欲しい。21世紀の科学はしょせんメッキものなのか? いま登場したCOVIT-19を根底から絶滅させる科学進歩があってもいいはずだ。にもかかわらず、まだ、成果はどこからも出てこない。中世でもあるかのようだ。急いで取り掛かっているワクチンも、性能がわるかったり、副作用が深刻で使えない可能性がある。本当の21世紀科学の成果はどこからかでてくるのだろうか。

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