コロナは「出口なし病」か

本日の東京、感染者25人。
無視できる数ではないはずだが、国民の収入が逼迫しているので、営業制限など出来ない。経済をつぶせないのはわかるが、そう願ってみても、政府が効果的な策を伐てていないので、経済はもっともっと収縮するだろう。

アメリカでは、第2波の懸念を材料にダウがさがった。1800ドルの下げだ。それでも、2万5000ドルはキープしている。機関投資家は株価が下がることを許容できないから、また上がるだろう。それを繰り返すので、シュリンクする実体経済とはまるで別世界だ。

殆どの人は、コロナの話にあきてしまったようだ。かといって、忘れてしまえるわけでもない。どっちつかずの宙ぶらりんの心理状態に置かれている。このはっきりしない状態がワクチン供給まで延々と続くとすれば、それ自体が、人類が経験したことのない心的病態を生むかもしれない。どう名付ければよいか。「出口なし病」とでも言うべきか。

このはなしに、特に起承転結はない。そう予感するだけだ。ソール・ベローというノーベル賞作家の「この日をつかめ」という題の小説を思い出した。この作家は「宙ぶらりんの男」という題の小説も書いている。「出口なし病」という言葉を思いついたので、小説の中身とは関係なく、作家とタイトルだけを思い出した。ざれごと風にいうなら、
「いまは、コロナで出口なし、人々はどうしたものか宙ぶらりんの状態ですが、きょうという日をつかめたら、突破口になるでしょう」

このところ、テレビ朝日の玉川氏もおとなしい。2月3月には大いに怒っていたが、近頃は怒っていない。というか、怒り疲れたのかもしれない。ただ、きょうの産経新聞で指摘された問題は、玉川氏の怒りに火をつけるかもしれない。産経の指摘したのは、3月4月の「超過死亡」が1481人あったことだ。

PCR検査を絞っていたこの時期、コロナと診断される前に死亡した人がたくさんいいるのではないかと推測されていたが、その実体が出てきたということになろう。玉川氏には吠えてもらいたいものだ。

実際、コロナ自粛から解放されたかのような気分がテレビやネットから溢れ出ているかんじで、おいらは気分が悪い。「死者数も少なく切り抜けた日本モデル」などと首相が言ったことも無神経にすぎる。志村けんや岡江久美子は、運が悪かったね、ですますつもりだろうか。

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