せめぎあうか?自粛と経済再開 そして 雇用のなくなった未来へ

6月15日日経夕刊の一面には、
・EU域内 移動制限緩和、生活正常化 仏が「勝利」宣言
・都 感染監視基準見直し 全面解除方針は維持
が並んでいる。
世界も日本も、政治決断は、圧力の多い方の意向にそって行なわれるようだ。

緩和、緩和、緩和。

テレビ朝日の今朝の番組では、玉川氏と岡田氏が元気をましているようにかんじたのは、おいらの思い違いか?
新型コロナの感染がひろまらないことを誰しも願うが、考え方や感じ方で、「自粛する」か「自粛しない」かのスタイルが異なってくる。会社の維持や稼ぎのために働きに出る以外の道がない場合や、子供の教育が遅れる恐れに突き動かされれば、「自粛してられない」を選ぶ。慌てる必要がない階層のひとたちは、「はやすぎ自粛はかえって感染期間を長引かせる」という心配に座を定める。
玉川氏も岡田氏も、それぞれ違った理由がありそうだが、「自粛を続ける」派であるとおいらは思う。
おいらも「もっともっと自粛でいけ」派なので、日経夕刊に載ってるような動きには、まったく賛成できない。

営業自粛の政策で「食えない」のは、政府が食える金を無収入者に配らないからだ。公務員には何があろうと払うのだから、国民にも払うのである。そんなことができる国家制度のなっていないなら、制度を変えるべきである。できるとしても国に現金がないなら、日銀に刷らせればよい。それで国の信用が縮むことはない。営業自粛を強いられて食えなくなったヒトは、感染を拡大しそうな自分の仕事を再開せずに、政府に金を出せともっと強く迫るべきだ。こんな全国民的感染災害は、自助では何も出来ない。民を救済しなくて政府とは言えない。

今回、経済再開で働きに出た人々は、1ヶ月後の給料をみて、真っ青になるだろう。何割も売上が落ちるので、経営者は給料をはらえない。1回か2回は払えても、気候が寒くなる秋以降はますます景気は落ち込む。再びウイルスが活発になるので、皆が活動を控えるからだ。すると、経営者は、事業の身を絞らざるをえない。かつての半分の売上でもやっていける体制に、いわば人員整理するのだ。工場が半分しか稼働できないなら、いままでどおりの数の働き手を置いておくのは不合理だからだ。サービス業ならその決断はもっと早い。客がこないなら店員の頭数を減らすことになる。患者がこなければ医療機関も同じだ。

そう予測されるのに、政府も企業もなんの準備も始めていない。経産省発案でえ電通にやらせるGOTOキャンペーン(補助金出すから旅行してねキャンペーン)など意味がない。電通への高額な事務委託費(3500億円以上)は、国民の旅行行動をどれだけ増やせるか? 無駄になるだろう。
必要なのは、もっと構造的な準備だ。たとえばAIの開発分野ならたくさんの人材を必要とするだろう。だが、今回職を失なったキャバクラの女性には、AIを開発する腕がない。サービス業の雇用者は技術職に転職できない。職業訓練センターで訓練を受けてもたいしたことはできないだろう。いままでも低技術の職であるため低賃金になりがちだった傾向は、ますます強まる。正規に順調に高校や大学を卒業してもそれだけでは職業的能力は低いから、彼らは、非正規という雇用状態に置かれるだろう。それは極めてチャンスの乏しい場所である。正規の高校や大学であっても、事実上は非正規雇用の若者をつくるだけの教育機関になりさがって行くのである。学校の事務局が商工会議所を駆け回って、我が校に新卒募集をだしてくださいと頼んでまわっても、ハカがいかないだろう。
失業者の再教育どころか、新卒者の”丁稚”奉公先すらままならなくなる。そういう状態のまま社会運営をしていくのは、何をやっても弥縫にすらならないだろう。政府の怠慢が責められるところだが、政府が頑張ればなんとかなるというレベルのものではない。政府が物事を決める前例慣習的な手法では解決できないレベルの課題なのだ。前例慣習的な手法を駆使する官僚層を制して新たな答えを出す天才的な指導者が現れてくれればありがたいが、日本ではそんな指導者は現れない。政策立案の実作業を命じられる高級役人層は、いままでどうりの情勢分析術とロジックで、ほぼいままで通りと何も変わらない政策を立案するだけだ。そんなことは、今回出てきた「GOTOキャンペーン」という駄作をみれば明らかだ。かれらでは発想不足は明らかだ。
ではどうする?
前例慣習的な手法で凝り固まっている高級官僚層を黙らせるのは、明治の初期のようにお雇い外人や戦後の占領期のようなGHQを頼むしかないか? 前例慣習的な手法というのはカルチャーそのものだから、それを超えて新しいことを実現するには、旧を新しいカルチャーに置き換えられる文化優位的整合性を、新しい指導者が持っていなければならないのだ。そんな優位性を持った連中がどこにいるというのだ?
どこにいるかは、おいらも知らない。だが、それを求めれば、そういう連中があちこちから輩出してくることは知っている。要は、そういう連中が現れやすくなる状況に世論を導くことなのだ。
では、何をよびかければいいのか?
国家幹部の総取り替えだ。総取替を実現するには、それを行なえる唯一の立場である政治家には健全でいてもらわなければならない。彼らに、国家幹部である高級官僚をすべて取り替える仕事をしてもらわねばならない。自民党の政治家は官僚の尻を叩けず、逆に取り込まれている。安倍氏は官邸権力を使って省庁を支配しているかのように言われているが、省庁から来た連中を使っている限り、社会の根底が変わるときには、なにもできない。かれらは、結局、平時のお役人であって、嵐の夜の船乗りではない。
今時の経済再開の決断も、本来は、嵐の夜の舵取りの決断だ。平時の感覚でやっているなら、齟齬をきたす。これからも急激に変化し続ける事態に対処できずに、敗着の連続となるだろう。

経済再開をするなら、考え方を転換してから行なわなければならない。考え方をどう転換するか?

まず、これからの社会の通奏低音をどうとらえるかだ。
これからは、企業でも個人でも、自分の行動についての考え方は、「ポジティブ シンキング」(積極思考)から「パッシブ シンキング」(受動思考)にせざるをえない。というか、パッシブシンキングでこそ生き延びられるのである。パッシブシンキングが難しい言葉だと思う人は、おいらがたびたび言ってきたミーアキャットのスタイルを思い出してくれ。自分がパッシブに行動するということは皆が社会全体がパッシブに行動するということだ。これからの社会はパッシブ社会であり、時代はパッシブ時代なのである。朝から晩まで勃起しっぱなしのようなポジティブシンキングは、もう終わった。

しかし、終わったポジティブを復活する夢を見てる連中も多い。昨日のアメリカ発のニュースによると、
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米国家経済会議(NEC)のクドロー委員長は、米経済は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う経済閉鎖が作り出した「天災」から回復の過程にあると述べた。パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長が先週示したより慎重な見通しについて、「実に気がめいる言い方」だと述べ、見解の違いを鮮明にした。
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ここにも、古い支配層の考えが典型がある。
トランプ氏に任命されたクドロー氏が「いまは回復の過程ある」というのは、「回復の過程であってくれ」というご本人の願望にすぎない。アメリカ資本主義を成立させている根幹は、「事業体が稼ぐにはどんどん労働者を雇用して、生産力や生産性をあげること」にある。しかし、ここには、「労働者も馬車馬のように働けば高給を取れるようにしているから、それで労働者も幸せになれる。雇用が幸せの源だ」という思い込みが根を張っている。

雇用とは、労働力を経営のための経費とみなす制度である。経費であるから、安ければ安いほどよい。最低賃金があがっていかないのは、やすければやすいほど、経営がやりやすく、稼ぎも大きいからだ。おいらの友人の社長は「社長より高い給料をとる社員がいる会社にする」と言っていたが、そんなことは起きなかった。世界トップの自動車会社の社長の給料が1ドルだったこともあるが、ストックオプションや配当をとっていたのだから、その言い条はインチキなウソである。共産主義者のように、雇用は経営者が労働者を搾取する制度だと断言できるかどうかはわからないが、理想から言って、雇用という制度は、だめだ。

新しい集団は、雇用をやめようと主張することになるだろう。

新しい社会は、雇用のない社会である。
新しい社会では、経営者は、ロボットを購入して、生産もサービスも営業もすべてロボットにやらせる。人間を雇ってそういうことをやらせてはならない。牛やウマではあるまいし、人間を使役動物にしてはいけない。道徳的にもおかしいだろう、「人を道具につかう」のは、よくないことではないのか。
よい経営者は、すべての生産とサービスを使役ロボットにやらせ、販売して売上と利益を得、公機関に税金を払う。
税金を受け取る公機関は、すべての人間にベーシックインカムを配布して、社会の全員を養う。
個々の人間は、医療や介護や教育で他の人間を助けるボランティアか、他の人間を楽しませる芸術家か、税金を払う経営者というボランティアをする。
公機関は、インフラも治安も国防も外交もAIを駆使して行なう。
コロナ後の新しい社会は、こういうふうにも創れるのだ。

くりかえすが、
やみくもに経済再開しても、売上も給料もかつての何割減の、お先真っ暗状態でしかないんだよ。希望全滅・敗北必至で失うもののない今こそ、新しい体制への逆転満塁ホームランのチャンスだ。

中世の黒死病の後、あまりに人口がへったために、労働の報酬が上がった。これが社会の進歩に役立ったかどうかはわからないが、働き手にとっては、雇用条件の改善ということで、嬉しいことだったに違いない。
21世紀の今回のコロナ禍は、雇用という(人間を使役動物にみなす)制度をやめて、ベーシックインカムに移る初めての現実的なチャンスだ。これこそ進歩ということだ。 
あなたもそう思うだろ?
これを実現達成するためには、
・人間を使役動物にみなすことを毛嫌いする政治家と行政幹部をみつけて、
・かれらによる公機関をつくらせるべし、
だ。

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