感染を確実に抑制しきれるなら、緊急事態宣言の解除日は3月7日でも4月7日でもかまわない。

緊急事態宣言の適応範囲が広がった。まあ、国民はもう誰でもが周知のことになった。おいらのまとめている日々の新規感染者数の報告も、どこかできいたことのある話に読者からは見えるだろう。緊急事態が終わる2月7日までは、簡単に集計を行うくらいにしておこうと思う。

新規感染者数
全国5870人
東京1433人

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当初、今回の緊急事態宣言は「飲食店を限定的に。8時までの営業」ということだったが、いまは「あさから晩まで不要不急の外出をしないでくれ」と、一般人の行動変容に重点が移ってきた。発出時は「限定的」と説明していた西村大臣などは「8時までなら接触も会食もOKというふうに受け取られたが、そうじゃない。1日中外出しないでほしい」と叫んでいる。

「限定的」だったり「24時間全面的」だったりするのは、毎日報告される数値に反応しているからだ。禁止したくなかった外国人の入国も全面禁止になるそうだ。変更するのは、しないよりもマシだが、いつもデータが出てから後追い変更するのは、先見性と決断力のなさを感じる。
先見性に依存した決断は、その先見性が間違っていたら、目も当てられない失敗、やりすぎの失敗になる。それで不利益を被った人は「補償しろ責任をとれ」と迫るだろう。失敗した決断者は解任され、別の人材を探すフェーズになるから、もともとの問題への対処とは異なる拗れた政局的場面になってしまう。ウイルス感染を緊急に抑制するといったケースでは、政局的場面に時間を賭けることは許されない。政局に時間を賭けるほうが社会にとって致命的だ。その場合、先見性の決断でリスクを侵すより、データが出てから後追いでやるほうが全体の利益に適合するのだ。これは、どうしようもない真実だ。先見的な判断には、快感があるが、バクチが伴うのである。
後追いでもたもたしながら、今まで言ってきたこととちがうことをやっていく姿は、みっともない。尊敬に値しない。が、ウイルスがどう振る舞うか予想不能で、全体の事態も流動的なら、知的な後追いでやる以外にしょうがないのではないか。
中国は初期には強権でロックアウトして鮮やかな結果を出したが、あれは、まぐれ当たりだったのではないか。
菅政府のここ2週間は場当たりと方針フラフラで、ひどい。データに追いついていけてない。専門家会議などの知的な人々も、もっと知的になるべきではないか。特に「解除する日」については、2月7日ありきではなく、これから出てくるデータを後追いで見ながら、柔軟に知的判断を行なう責任がある。感染を確実に抑制しきれるなら、解除日は3月7日でも4月7日でもかまわない。

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