新型コロナ、ジレンマ、社会距離のはなし

ブログを続けることは想像以上に大変です

書いているのは5月23日土曜日18時30分。サイトで公開されるのは5月24日午前1時。ブログでは、おいらの記述と公開に時間差がある。予約投稿という方法を使うからだ。都合で書く時間がないとわかっているときは、何日か前に書いておいて予約投稿する。しかし、新型コロナを話題にする場合、1日前の情報を元にして書くと「古い」記事になってしまう。新鮮な記事であるためには、なんとしてでも、公開日時に近い時間帯に書かねばならない。そのこだわりで書いたとしても、数日後に読む人には、「これって、何日か前の話だね」という受け取り方をされる。公開直後の真夜中にすぐ読んでくれる読者はいないとしても、サーチエンジンのボットが更新を確かめにくることはあるかもしれない。どうやら、おいらはボット君のために書いているのかも。とはいえ、ボットくんが検索サイトのデータベースに保管してくれてこそ人間の読者が増えるチャンスが生じるので、ボットさまさまと感謝するしかない。これは、非有名人の運命である。

さて、きょうもその努力を。。。。

米テキサス州、いち早い経済再開を模索 検査に遅れも

BBCやCNNでは、各国の経済再開と感染拡大の恐れとのジレンマを報道し続けている。
夕方、持病のネコをつれて動物病院に行った。ひっきりなしに患者がきて、6人座れるソファが用意された待合室には、人と隣りにならずに空席がない。それで、最後に来た客は、自動ドアの外に出て、待っている。受診を了えた患者がでてきてから、中に入る。コロナ流行の前は、いくら混んでいても外で待つという客はいなかった。待合室の片隅で立って待っていたものだ。


きょうの客数は以前と同じ程度だろうと思う。ということは、家族同様の愛犬愛猫の健康のためには、飼い主は自分の「密」のリスクを押して動物病院を訪ねる行動をとるということであり、待合室に着いたら、実際の「密」の具合を観察して、特に前もって決めたルールがあるわけでもないのに、「自主的に外で待つ」行動を取るということだろう。
ここには、ふたつの行動規範がある。1:必要なら外出する。2:外出先ではヒミツに行動するということだ。
ヒミツってなんだ??「避密」である。

経済再開と感染拡大のジレンマの中を生活させられるという「新現実」においては、出先での避密を始めとするアイデアを「新ノーマル(新常態)」にせよということなのだろう。
しかし、我々はなにも喜んでそれをするわけではない。マスク、フェイスシールド、社会的距離を守る、などとという行動は、しょうがないからやるのであって、やりたくてやるわけではない。やらなくて良い状態になったら、きっと、やらなくなるだろう。

「やりたいからやる、やりたくないことはやらない」in Shanghai

ほとんど50年前のことだが、和訳本が出版されたコンラッド・ローレンツやエドワード・ホールを読んで、とても勉強になった。

ローレンツ博士


ローレンツ博士は、ハイイロガンの刷り込み現象の発見を通して、動物が本能として持っている(人間で言えば)心理的距離というものの存在を明らかにしたが、エドワード・ホールは、もっと直接的に人間の心理的距離というものを研究して、わかりやすい理論を示した。

ホール博士の「かくれた次元」。この本はおもしろかった。


ホール博士によると、人間の心理的距離は、4つの距離に大別できる。
wikiを引用すると、
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1:密接距離(intimate distance,0cm~45cm)
ごく親しい人だけに許される距離で、相手の身体に容易に触れることができる距離であるため、知らない相手が密接距離に入ってくると恐怖感・不快感を強く感じる。
2:個体距離(personal distance,45cm~120cm)
親しい友人・恋人・家族などと普通に会話する時に取る距離で、相手の表情が読み取れる距離である。
3:社会距離(social distance,120cm~350cm)
知らない相手や公的な改まった場面で相手と会話する距離で、相手に手が届かない安心できる距離。
4:公共距離(public distance,350cm以上)
講演会のような、自分と相手との関係が「個人的な関係」ではなく「公的な関係」である時の距離。
/////////////////////
という4つである。
コロナの感染に関して世界中で言われるようになった「ソーシャルディスタンス」という言葉は、ここから借り出してきた言葉だと思う。
ちなみに、現代の生活感覚で言うと、
1:密接距離は、キスやセックス、ハグの距離。
2:個体距離は、握手、子供の頭なで、診察時の医師と患者、お酒のお酌、名刺交換の距離、
3:社会距離は、教室での先生と生徒、警官と職務質問の相手、カウンター越しの距離
4:公共距離は、オーイお茶と呼びかけないと振り向いてもらえない距離。

満員電車やエレベーター内で我々が不機嫌になるのは、3:社会距離でありたいのに、1:密接距離か2:個体距離を強要されるからだ。逆に、親しくしたいのに邪険に扱われたとかんじるのは、2;個体距離でありたいのに、3:社会距離を取られたときだ。

今回のコロナに際しての「ソーシャルディスタンス」は、心理的距離の話ではなく、「つばの届かない距離」を、知らないやつが気取って言ってるだけだ。専門家委員会の人たちが「三密」とはいうが、「ソーシャルディスタンス」と言うのをさけているのは、医者がうかつに社会心理学用語をつかうわけにはいかないからだ。BBCやCNNは「ソーシャルディスタンス」と表現することもあるが、「ソーシャルディスタンシング」という動名詞で表現することで、ホール博士らが切り開いた社会心理学との混同を避けているようだ。


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