コロナ戦中日記

パンデミック下で、どう生き延びるか。

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アビガンが有効なら、アビガンを使え

今朝のテレビ朝日で、コロナウイルスの薬として「アビガン」の有望性が話題になった。

副作用の指摘で、妊婦につかった場合、危険があるというのである。その危険について、詳しく説明されなかった。テレビでのコメントは、時間制限にしばられて、舌足らずになりがちだ。
それだけを聞いた人は、ミスリードされることになる。
「アビガンって危ないんだって」
「じゃ、やめとこ」

確かに危険といえば危険だが、私の知るところでは、胎児が器官形成期である場合の妊婦だけである。同じ妊婦でも、胎児が器官形成期を終えているなら、問題はない。ましてや、妊婦でなければ、この問題は起こりようがない。
視聴者に誤解するなというのは無理である。発言は、何がコンテキストかを意識すべきだ。テレビ朝日のあの場面では、危険を強調するのではなく、「特定の危険を避ければ問題なく使える」というコンテキストで語られるべきであった。



ブラックやダークじゃないと、誓ってくれ

コロナ感染拡大防止の方針を立てる責任は、「専門家会議」にあるように見える。しかし、ここには、実務の権限がない。提言をするだけである。
提言を実行するのは、厚生労働省だ。

実務で権限があるのは、厚生労働省の、次官・審議官・局長・課長である。
https://www.mhlw.go.jp/kouseiroudoushou/kanbumeibo/index.html
に、厚生労働省の幹部役人の実名が載っている。

この人達は、いま、何をしているのだろう。

提言には、たやすくできそうなものと、できそうにないものとがある。できそうにないものは後回しにして、ハードルの低いものから手をつけるというのが、役人の習性だ。他部署との関係で面倒くさい問題があるものには手をつけないというのも、役人の習性だ。


役人はコロナ感染拡大を止めなくても、ハラは傷まない。まったく想定外の未知のウイルスなので、言い訳が言いやすい。


感染拡大で医療が崩壊しても、崩壊してしまった時点で「これから再建します」という新しい任務のポジションに滑り込んで地位身分を確保すれば、罰せられることもない。今は黙って、ぶっ壊れるのを見ていて、壊れたところで救世主のような顔をして登場すれば、栄光にみちた未来になる。いま、苦労してコロナ拡大防止に手を出して失策してしまったら、役人人生の未来はない。ならば、なにもせず、適当に流して、様子見しながら、自分にふりかかりそうな火の粉を避ける選択肢こそが正しいのである。

場合によっては、「コロナの感染拡大で、金のかかる終末期医療を受けている年寄の患者がゴソッと死んでくれれば、あとあと、保健財政が助かる」と、口が裂けても言えないことを内心考えているかもしれない。こんなブラックでダークな存在じゃないと、誓ってくれ。


こういう猜疑をあらわに書くと、役人は公僕として役立ちたいと人生を決めたひとたちだから、お前の言は名誉毀損のいいがかりだ、と非難をあびる。

だが、それは、おかどちがいだ。金貸しが借りたい人の返済能力を疑いながら恐る恐る行なう「不信用のビジネス」であるように、国民は、ズルをしない約束のもとで役人に権限を与えているのである。役人は、サボったり手抜きしたりすり替えたりする理由を見つけ出すのがうまい抜け目のない集団だから、国会議員と大臣と国民は、性善説を捨てて、心を鬼にしなければならない。
今回のコロナに関する厚生労働省の役人が、セウォル号の船長でないことを望む。

あの船が挫傷して今にも沈没しそうになっているとき、船長は、「大丈夫ですから、じっとしていてください」とアナウンスした。言うことを聞いたまじめな高校生たちは、船室にとどまり、船とともに沈んだ。反対に、自分の頭で考えて海に飛び込んだ人だけが助かった。

コロナで日本が沈没したなら、責任は、すべて、厚生労働省の役人にある。
首相や大臣や専門家よりも先に、厚生労働省の次官・審議官・局長のすべてが、責任を追求されるべきである。



クラスター鬼ごっこか、市中感染率把握か、神学論争はなぜ起きたか

2月、テレビ朝日で玉川氏と岡田教授が「検査をとっととやれ」とけしかけて社会をパニックさせているのか、感染研の押谷氏が「クラスター鬼ごっこ」に執着して硬直してしまっているのか?


テレビっ子のわたしの意見を整理しておこう。
2月、外国からは「日本はわざと検査せず、感染者を少なく見せている」と疑われる始末。

2月の初めから下旬にかけて、PCR検査をちゃんとできる【受付、採取、運搬、機械セット、遺伝子増殖、結果判定】の体制が整っておらず、八の字眉毛の大臣は、「全国で最大日量1800」と発表して、その少なさで、国民をがっかりさせた。

PCRの機械がない、検査液がない、民間検査機関には未知の危険なウイルスを扱わせることができない、とか、いろんな話がでてきて、そのうえ、【受付】の条件に「武漢帰り・濃厚接触者」という条件をつけていた。マスコミは、これを「武漢しばり」と呼んだ。

生活者の立場にたつテレビ局の最も強い関心は、日本のまちなかの現状がどうなっているかにあった。
「市中感染率を確かめる必要があるから、一定エリアで無作為で検査する必要がある」という立場に立ち、「検査をとっととやれ」と強い口調で主張した。政府の専門家会議は、「市中感染率をしらべる」のではなく、「クラスターを追いかけて、ひとうひとつ潰す」方針を取った。


市中感染率を優先する方針は、地引網でゴソっと全部をとらえて社会全体の状況を把握することで正しく感染拡大を抑え込もうとする作戦であるに対し、クラスターを追いかけるやりかたは、水面上に跳ね上がった獲物を一本釣りしていく作戦である。前者は「統計技」をつかった作戦である、後者は接触経路をたどる「職人技」を使う作戦である。


2月の中旬という時点でどちらが正しかったのか?


専門家会議は、全員が感染症の専門家だった。公衆衛生の専門家がいなかった。感染症の専門家にとって、市中感染率を調べて全体を把握するのは自分たちの仕事ではなかった。そのため、自然の流れとして、自分たちが習熟してきた職人技を使う「クラスター鬼ごっこ」を採用したのだ。

このなりゆきの結果、市中の全体を統計的にとらえる仕事は、あとまわしにされ、優先順位が低く置かれ、結果として事実上、誰からも忘れ去られた。
これは、故意に排除されたのと同じである。なぜなら、市中感染率の把握とクラスター鬼ごっこは車の両輪として、並行して進めねばならないテーマだからだ。

市中感染率の把握を重視するテレビ朝日の玉川氏の主張は、いきおい、クラスターだけやってる専門家会議と厚生労働省を問い詰める口調となり、彼らを苛立たせた。

反撃が一斉にはじまった。副座長の尾身自治医科大学名誉教授は、「クラスター班はほんとうによくやってくれています」とテレビで述べ、 感染研の脇田所長は「誰もかれも検査することで、医療崩壊を起こす」と激怒した。「WHOも米CDCも日本の独自の方針を支持している」というネットニュースも配信された。

厚生労働省や自民党のツイッターがテレビ朝日の番組を名指して避難した。

玉川氏もまけてはいない。番組内で反論して、厚生労働省のミスリードにみちた発表文をやりこめた。
ますます恥をかいた厚生労働省と自民党に、玉川氏は恨まれた。危険を察知した、番組のあるじ羽鳥氏が、玉川氏の尖り気味の主張を和らげる台詞回しで、番組をたくみに運営し、政府側とケンカする険悪な空気をおさめるた。


この3月初旬は、「欧米で感染爆発しているのに日本が少ない感染者ですんでいるのは専門家会議の方針が的確だからだ」というロジックで、フジサンケイ保守も参戦しようとした。「そら見ろ、玉川」と、玉川氏に「危機を過度にあおる罪」を被せようとした。


安倍氏が要請した2週間の自粛が終わった3月中旬から、国民の気持ちが緩んだ。感染者が増加し始めたのだ。
経路を追えない感染者の存在が目立つようになってきた。クラスターを追いかけて経路を掴んですべてを潰していくという作戦が、不可能になり始めた。クラスターを追いかけるだけではどうしても掴みきれない感染者が存在するのだ。


3月下旬、経路を追えない感染者が3割をこえた。
このころテレビで、クラスター班の懸命の追跡活動と結果分析の検討を取材した番組をみたが、クラスター班の要員が連日の忙しさで、いっぱいいっぱいになってきていることが伝わってきた。
WHOでも仕事をしてきた実績をもつクラスター班のリーダーである押谷医師でさえ、要員に指示を出すのに、大声をあげていた。みなのイライラと緊張が画面からも感じた。クラスター鬼ごっこだけでは、感染拡大を防ぐことができそうにないことが、あらわになってきたのである。


感染症研究所の所長脇田氏は、専門がC型肝炎の感染。インフルエンザやコロナは持ち場とは言えない。そのため、副座長の尾美氏がメディアに出て対応することになっている。
2月に専門家会議が取った方針「クラスター鬼ごっこ」は、急速に全体作戦としての意味がなくなった。鬼だらけの森にはいって鬼の後ろ姿を追っても、鬼はどんどん繁殖するばかりだ。クラスターを追う作業は、見つけた陽性者を隔離するためのルーティーン、あえていえば、弥縫策にすぎなくなった。これをいくらやっても、医療体制の崩壊は防げない。

一方、市中感染率を調べる話も、パンデミックという現実に飲み込まれて、ほとんど意味がなくなってきた。


緊急事態宣言がまだでない。

さっさと、人と人の接触機会を止めるべきだ。人と人の顔合わせを止めてしまえば、ウイルスは、広がれない。

経済のすべてを1ヶ月止めて生じる損害は40兆円だ。
こんなときこそ、赤字国債で、社会と国民を救済すべきだ。1100兆円の残高が1140兆円にふえても、日本がさっさとやりなおせるのなら、やすいものだ。



「診察前に、死んでくれ」

ニューヨークが深刻になっている。CNNが現場の医者に取材した。その女医は、「患者が押し寄せて、病院は対応しきれません。生き残れそうなら治療します。生き残れそうにないなら、治療しません」別の医師も言った。「治療するかしないか、振り分けせざるをえません。50歳以上は治療しません」

ニューヨーク州のクオモ知事が会見で「ベンチレーター、ベンチレーター、ベンチレーター」と叫んでいる。ベンチレーターは、人工呼吸器のこと。息ができない重症者の息を手助けする機械だ。2万5000台欲しいそうだ。それだけ死に瀕している感染者がいるということだ。


ホワイトハウスの対策トップのファウチ博士に教えられてトランプ大統領が言った。「ほっとくと、200万人が死ぬ。適切な対策をするので、10万人で抑えられる。これでも上出来だ」
東京でも、感染症用の病床はすでに満床だ。満床どころか、患者が3倍もいるので、他の用途のベッドを転用してなんとか入院させている。これ以上は融通のきかせようがないところまで来ている。
きょうは4月1日だ。東京の感染爆発と医療崩壊は、数理的シミュレーションでは、4月10日と予想されている。数理的シミュレーションは、人間がなんの対策もせず個々人が生活変容をしなければという前提で行われるものなので、それを引き伸ばすことはできないわけではない。引き延ばせればよいのだが。


とはいえ、ニューヨークやイタリアでは、医療者の疲弊が生じてきた。医療者が感染にさらされて戦線離脱すれば、ますます、医療の崩壊が早まる。引退した医者やナース、免許をとったばかりの新米医師や新米ナースも、現場に投入される。彼らは、ものすごいストレスにさらされる。

コソボ内戦

21世紀になる直前の時期、コソボやクロアチアの内戦が突然起きたとき、医師免許をとったばかりの小児科の若い医師は、病院に砲弾を打ち込まれて、先輩医師がいなくなった。(死亡と逃亡)。手や足の千切れた患者、はらわたがそとに出ている患者たちが押し寄せた。研修したこともないメスを持つ手はブルブル震え、彼はつい思った。「手術の前に死んでくれ」
この医師はその後の修羅場を何年ものりこえ、タフな医療者に成長した。内戦が終わったあと、体験を本に書いた。いまニューヨークの感染の現場で医療者人生を始める医師やナースも、その患者が生き残れそうかどうかトリアージしなければならない過酷さの中で、内心思うかもしれない。「トリアージの前に死んでくれ」



宣言はまだか?

緊急事態宣言がなかなか出ない。
報道によると、3月30日、官房長官、ネットで拡散の“政府が近く緊急事態宣言の情報”を明確に否定。

日本医師会「緊急事態宣言 もう発令してもよい」

緊急事態宣言「国家としての判断求められている」小池都知事(2020年3月31日 18時35分)

なぜ出ないか?「まだ、もちこたえてる」と官房長官と政府の専門家チーム。
「持ちこたえてる」というデータがはっきり示されないので、政府の態度に同意しにくい。

今朝、5チャンネルの名村コメンテーターは、「宣言をだすまでもなく、皆が自主的にやるのが一番」と、国家の強制を危惧し、人の性善説を期待するコメントをしていた。このひとは知性はあるんだろうが、勇気がない小心者のようだ。

若者か馬鹿者がコンビニなどバイト先でバイトテロを起こしたことを思い出すと、いい大人が自粛無視テロをやることも目に見えている。

テレビの取材でも、新橋駅前の酔っぱらい中年サラリーマンや渋谷新宿のお調子者の若者男女は、「わかってるんだけど、ちょっとビールをのみたかったんだよね」とか「俺は免疫が高いんだ」とか「自己責任でやってるんだから、ほっといてよ」、という調子だ。彼らの危機感のなさに対して「ちゃんと説明してわからせれば、わかってもらえる」というコメンテーターもいるが、一定の割合でいる「エントツさん」と「アヒルさん」は、どこまでいっても、エントツさんとアヒルさんのままだろう。「エントツさん」と「アヒルさん」って、なに?通信簿の成績が「1」のひとが「エントツさん」。「2」の人が、「アヒルさん」。公共心や自己規律心が「エントツさん」と「アヒルさん」なのである。

いまは、もう、宣言を出す出さないの議論をやってる場合ではない。
「経済が悪くなる、宣言出すともっと悪くなる、やめてくれ」(経済界)「国が宣言を出すと、小切手も出さなければならないから、いやだ」(財務省の隠れた本音)「ウイルスで社会が壊れるより、経済が壊れて社会が困るほうが重大だ」(ホリエモン流のエゴイスト)

感染は爆発していない・ギリギリだという人は、先見性を放棄している。先見性のない指導者は、社会の邪魔である。
今回の場合、先見性とは、感染の拡大がどう予想できるかという、数理的なシミュレーションで確かめることができる。
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理数モデルによるシミュレーションを見つけた。すぐれものだ。

(東京都での感染爆発のシミュレーションのグラフ)
■パンデミック終息に向けて私たちに具体的にできること:
https://fttsus.jp/covinfo/our-action/
■ウイルスと共存する長期戦略は存在しない
https://fttsus.jp/covinfo/remarkable-comments/
■県別シミュレーション
https://fttsus.jp/covinfo/pref-simulation/
■社会距離作戦をとった場合の世界での収束シミュレーション
https://fttsus.jp/covinfo/international/

すべて読み甲斐がある。
わけても、世界での収束シミュレーションでは、人々の現在の相互交流量を1として、外出禁止策で(これを社会距離作戦、ソーシャルディスタンシングという)人と会う量を4%、3%、2%、1%にした場合に、感染の広がりがどうなるかを示している。なんと、たったの4%も維持しているだけで感染は拡散しっぱなしで、1%だと(つまり、付き合い量をいままでの100分の1にする)拡散を抑えて、収束曲線にはいり、終息にたどりつけるという試算は、驚かされる。(2%、3%でも収束するが、かなりもたもた収束になる。)

テレビなどではまだ誰も話題にしていないシミュレーションデータだ。
知り合いの、公務員、役人、あなたの選挙区の選出議員、会社経営者のすべてにいますぐ教えるのがよい。




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