立案も実行もできない役人はいりません。お引取りください

コロナ騒ぎの中で、政府のあきれるほどの無能が指摘され、こんな政府にやらせておいて大丈夫か?という国民の声が聞こえるようになりました。杉浦泰造氏のように、政府や官僚を無条件に褒めるひともいますが、その賛成者はほとんどありません。国民は、内閣府や厚労省が連発する的外れな政策や提案にうんざりしはじめています。

「太蔵くん、ダメなんだよ」岸博幸さんvs杉村太蔵再び


そこで、今回は、前回の末尾で述べた「高級食パンの革命」のことを話そうと思います。パン屋が品揃えを一新するはなしではなく、これからの革命は被支配階級や貧困層が行なうものではなく、高級食パンを食べることに象徴されるような目のこえた階層が主導するものだ、という意味です。

「考えた人すごいわ」ブランドの高級食パン

なぜそんな革命が求められるのか、おいらの認識を述べます。

戦後75年間、日本社会は、民主主義と自由経済でやってきたことになっていますが、実質的な社会指導は、官僚が行ってきました。GHQは旧軍人と旧財閥とと地主階層と国家神道の神主階層を許さなかったので、日本社会で使い物になるのは官僚しか残っていなかったのです。


終戦直後の食い物すらない混乱の時代、必要になったのは、経済の再建でしたが、アメリカから政策的に経済支援されたにしても、できることはわずかでした。

朝鮮戦争

朝鮮戦争(1950年)の特需から東京オリンピック(1964年)のおよそ10年に、通産省(経産省の前身。このブログでは経産省のこともすべて通産省と表記する)の官僚は、貿易立国というマスタープランを建て、優先的に自動車産業を育てることにし、大蔵省(財務省の前身。このブログでは財務省のこともすべて大蔵省と表記する)の官僚は国家予算を優先産業に傾斜配分して、まあ今日で言えば選択と集中をやることで、国の経済を成長軌道に乗せたのです。

東京オリンピックのあと数年にわたって、松本清張は月刊文藝春秋に「現代官僚論」を連載して、「戦後復興に智慧をしぼり、汗をかいたのは官僚たちである」と評して、官僚優秀神話を社会に定着させたのでした。おいらの同級生のなかには現代官僚論を読んで「国を動かすなら、大蔵省だ。東大に行って大蔵官僚になるぞ」と受験勉強に邁進した人もいました。


それまで、いっぱんには、高度経済成長を実現させたのは優れた経営者と質の高い労働者と思われていました。成功の理由は計画を建てて、勝手な利益獲得に走りがちな産業界を指導したことにある、という松本清張の指摘は、官僚の指導に従っていればうまくいくだろうという思惑を業界の幹部指導者に与えることになり、この「指導する官僚」と「指導される産業界」のタッグが、21世紀になるまでの30年間以上、いわゆる護送船団方式として基本的な政策推進原理となりました。
これは長く続いてきました。


1990年代日米経済摩擦の時代、米国から強硬に規制緩和を求められたさい、アメリカの規制緩和要求とはつまりは官僚による裁量行政をやめよ・細かいことまで口出しするなということですが、緩和要求に応える新しい規則をつくる役目は、護送船団方式の体質が染み込んだ官僚が独占していました。アメリカにはネズミがネズミ捕りをするふりをしているように見えたことでしょう。
染み込んだ体質はそうかんたんに抜けません。アメリカの要求に応えるにしろ断るにしろ強力な布陣と戦略が必要なのに、このとき官僚は、終戦直後の官僚たちができたようにはマスタープランを建てられませんでした。その結果、アメリカの要求にボコボコにやられ食い込まれ、自動車に代わって日本の屋台骨になるはずだった自前のコンピュータ産業の確立にも失敗しました。

「歴史的役割を終えた経団連、一から出直しを 」とキャプションされた写真


こうした産業配置のプランや業界への指導は通産省のしごとですから、このときの戦犯は、だれも表立って言いませんが、通産省の官僚です。彼らは賢いはずですが、賢くありませんでした。通産省には「コンピュータ産業を未来社会をつくるエンジンにしよう」というペーパーを作る能力はありましたが、コンピュータ技術の全部を抑え込もうとするアメリカに対抗してみのりをものにする能力がありませんでした。松本清張の評価した官僚たちはすでに存在していません。今日の国民は、通産省をたよりにしてはいけないのです。
通産省の意向に耳を傾けるだけの経団連などの経済団体も、ITコンピュータ産業の戦略的未来像を皆目わかっておらず、能力がありません。どの経済団体も幹部が老いてきており、創業者であった人々が引退したあとは、会社内の階段をせこせこ登ってきたサラリーマン社長つまり社内役人だった人が全国団体の幹部の椅子に座っています。

中内功氏の葬儀


通産省の役人と大企業の役人は、役人としてまったく同質です。
後に、楽天の三木谷氏などITからのし上がった若い創業者がそれらの団体に招かれることがありましたが、すぐ辞めてしまいました。かつて、ダイエーの創業カリスマであった中内氏も経団連の副会長の椅子に招かれましたが、電力会社や製鉄会社や石油会社(すべて通産省系です)出身の冷ややかな役人根性に慇懃無礼にあしらわれ、倒産の憂き目にあいました。ゼロから創業した事業家は、社内政治に長けた社内役人あがりの経営者に取り囲まれては、窒息死するでしょう。
げんじつの経済団体は、立案能力のない翼賛団体として、内閣の経済諮問会議の(前もって事務局役人が用意した)提案や通産省の役人が作文するグランドプランと称するペーパーに、賛同するだけです。こんな実質では、かれらが日本の未来を設計できるはずがありません。たよりにしてはけないのです。
産業指導の官庁も大企業の経営官僚もたよりにしてはいけないのなら、どうすればよいのでしょうか。
彼らにかわって日本の未来をプランし、プランを実現する能力のある組織をつくるしかありません。新しい組織の立案と実現の能力は、通産官僚よりも経済団体よりも10倍以上優れていなければなりません。
でも、どうやって、そういう新しい組織をつくればいいのでしょうか。
ここが思案のしどころです。
おおきな使命をもつ新しい組織をつくろうとすれば、賛成反対の議論が噴出して、てんやわんやの騒ぎになることでしょう。つい最近、世界に合わせて9月に学業の年度をはじめる案が盛り上がっていましたが、既存の組織に属する関係者の猛反発にあって撃沈しました。これは、新しい組織を作るのではなく、制度変更するだけのことなのに、この騒ぎです。しかし、この事例から学ぶことがあります。それは、「制度を抜本的にかえたいとき、新しくつくる制度をふるい組織にまかせるつもりでやってはだめだ」ということです。制度をかえたいなら、組織も新品にするのが必須なのです。
これをなんというか??


革命です。
辞書によると、「革命」とは、被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。「産業革命」「流通革命」など、物事が急激に発展・変革するときにも使われることばです。
この「被支配階級」を「新しい制度をやるべきだと考える人々」、「支配階級」を「いままでの制度に利害関与している人々」と言い換えて見てください。
『革命とは、「新しい制度をやるべきだと考える人々」が時の既得権者である「いままでの制度に利害関与している人々」を倒して実施施行権力を握り、体制を根本的に変革すること。』
となります。

サピエンスがネアンデルタールを絶滅させたわけではないので、人類の主役の交代は革命とはいえない。


新人は旧人を「倒す」のが革命の特徴です。
倒すのですから、血が流れることもあるでしょう。
それを嫌う自民党の人や保守の人は革命という言葉を使うかわりに、「ガラガラポン」と言うことがあります。かきまぜれば必ず当たりが出てくる、という面白いたとえです。現実の社会の中では、いったんご破算にしてやり直すことが必要な事態は、頻繁に起きてきますので、それをやってのける「革命」という行動様式は、倫理的にも正当な選択肢なのです。
というわけで、このブログの冒頭の「高級パンの革命」の意図するところが浮き上がってみえてきたのではないでしょうか。

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