我が身に降りかかるコロナ②

外出自粛という生活スタイル、
うがいと手洗いという身体管理、
感染リスクがより少ない対人接触の方法(マスク、会話距離などのソーシルディスタンス)、
振る舞いにおける自主的用心(エレベーターのボタンやドアノブなどに非接触)、
部屋などの消毒、
といった行動は、コロナウイルスに罹る前におこなう生活行動である。

罹っていないときはそれでよい。
次に考えるべきは、
「かかったかな?」
という身体状況になったときのことだ。
かかってないときはを第1章とすれば、「かかったかな?」は第2章であろう。

「かかったな?」という段階は、読売新聞では、3つ挙げられている。
①カゼの症状や発熱37.5度以上が、4日以上続いたとき(高齢者は2日以上続いたとき、基礎疾患がある人は2日以上続いたとき)
②つよいだるさや息苦しさを感じる場合
のことである。
このときは、都道府県の帰国者・接触者センター(電話は公表されてない)に相談することができる。
③症状に不安がある場合は厚労省や各地の相談窓口(電話は公表されてる)に相談する。
というような、組み立てになっている。

(余談:読売新聞のこの説明では、咳のことはまったくふれられていない。ためしに、人前で、咳をしてみるとどうなるか。軽く無害な咳とコロナの咳を区別しにくいし、人前で軽くコホンとしただけで、人々にコロナを警戒させ猜疑と差別を助長するのはたしかだ。それで新聞社は、咳をとりあげないのだろうか)

新聞が示す3つの基準の話はわかるが、おいらという特定の個人の場合、
①持っている診察カードの中から、診察してもらえそうな医療機関を選んで、「相談の電話」をかける
②相談窓口がたてこんでいて電話さえ通じないとか、通じてもたらい回しされて気力が失せる場合、クイックリスポンスをもとめて「救急車」を呼ぶ
ことにするだろう。

①の電話も、②の救急車も、結局のところ競争である。うけつけにおいては「ファーストイン、ファーストアウト」(最初に入ったものが先に処理され、あとから来たものはあとになる)という原則があり、電話先や救急車が患者の様子から「(1)コロナではなく風邪、(2)コロナ軽症の疑い、(3)コロナ中重症の疑い」を見て、その患者を特急にするかどうか決めることがあるにしても、分かれた先でも、そのセクションごとの行列にならぶことになる。

おいらという特定の個人が他に優先する特別扱いをしてもらえたら嬉しいのに、そんな特別扱いはないというのが、現実である。こんな中では、おいらは、数時間、数十時間、数日の待ち時間の中に置いてけぼりされる。たまたま充てがわれた帰国者接触者外来機関の容量不足(ベッド、人員、医療資材・マスク・防護服など)のせいで、そこでも待たされたりするだろう。

待ってるうちに、体内でウイルスは増える。免疫が強ければ、薬なしでもウイルスを退治できるかもしれないが、免疫がウイルスをとりこぼしすれば、重症化する。
重症化した場合、その施設がアビガンの治験委託を受けた医療機関なら、アビガンを使ってもらえる可能性が出てくる。しかしその幸運があったとしても、そもそも治験は、ダブルブラインド(二重盲検)方式という厳密な研究手法を取っているはずなので、投与される半分の患者には「アビガンですよ」と伝えつつ、偽薬(プラセボ)を投与している。患者側からみれば、「二重盲検での研究がいかに崇高でも、命のかかった切実な状況で患者を騙すなよ」と言いたくなるものなのだ。
いまの段階ではアビガンは治験だ。いまアビガンをやってもらっている人の半分は、効くはずのない薬をうってもらってありがたがらされて居るのと同じだ。研究者はそれが科学だから甘んじて受け入れてくれという。
やなこった!
おいらは、二重盲検法の非倫理的側面を許容する気はない。しかし、いま50%の確率でしかアビガンを投与してもらえないなら、50%しかアビガンを頼りにできないのだから、もっと別の方法があれば、探し出して使う権利を確保しておきたい。

次回につづく

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