我が身に降りかかるコロナ①

国は、もたもたしていたが、ようやく、緊急事態宣言を全国に適用することになった。政治的には「やっと来た」という印象だ。
このブログの最初の記事は、政府の動きを「グズ!」とののしる記事だった。今週ようやく、緊急事態宣言という6文字熟語の旗頭を立てたということだ。

もう、政府の「グズ」「ノロマ」「無能レベル」は、周知のことになってしまった。いまも引き続き、テレビは、政府の「後手後手」「30万円とか10万円の議論を始めとする迷走ぶり」を伝えている。この様子では、近いうちに政府が改心して、急にもっとマシなことをできるようになるとは、想像できない。

政府がなにかマシなことをしてくれると期待するのは、もう、やめようと思う。
これには、あいかわらず「クラスターを追っかけてひとつひとつ潰す」作戦に執着している専門家会議からの提言やアドバイスを信用しないことも含む。「彼らが国の公式な専門家なのだから、それを信用しないという態度はあまりにムチャクチャだ」という意見もあるだろうが、彼らの言うことだけで「我が身を守れる」とはとうてい考えられない。あのひとたちは、感染学の論文に耐えうる範囲でのみやることを自分たちに言い聞かせており、人間を実験データ以上には見ていない。彼らは「このデータはこう解釈するのが、60%か70%か80%か85%か95%で正しい」という世界に住む人であり、いま、ここにいる生身のオイラを守ることについて「60%か70%か80%か85%か95%で正しいこの知見を考慮に入れて、あなたは、自分の身を守るためにあなたなりのやり方をやってね」と言っているだけなのだ。何をやるかは、こちら次第だ。
①自分なりのやり方を考案して、
②コロナに感染しないオペレーション
を行う、というのが、自主性ある人の選択肢だ。

専門家会議ではないが、近いところに居る同列の感染症専門家グループには、「感染学的には、集団免疫ができるまで流行はおさまらないから、コロナウイルスと人間が共生する状態をやむをえない」と考えている専門家もいる。全人口の6割が感染して免疫を獲得するまで、勝負はつかないというのである。

おいらは、コロナウイルスと共生したくない。

ヘルペス、C型肝炎など、体内に忍び住むウイルスと共生せざるをえない事例があることも知っているが、コロナウイルスは、そういう体内共生が可能だとは思えない。
季節性インフルエンザのように、「特効薬があり、予防ワクチンがあり、すぐにアクセスできる医療機関で治療できる」のような、「出てくるのは抑えられないが、出てきたら即刻退治できる」状態を作れるのならなんとか我慢できるが、これを「ウイルスとの共生」とは呼びたくない。
おいらは、新型コロナウイルスを絶滅すべきだと思う。天然痘のように、完全試合を実現してくれ。

さて、いま、東京に住む、コントロールの悪い糖尿病が持病の、70歳をこえた男性高齢者という「特定の我が身」において、どういうことをしておけば、コロナに感染するリスクを最大限に低くできるか?

すべての人にもとめられているのは、自己隔離的生活だ。

おいらの場合は、ちょっと特殊かもしれない。
横浜に着岸したダイヤモンドプリンセスの事態が大変なことになりそうになった2月中旬以来、自己隔離・ステイホームをやっている。近頃になって人との接触を8割減らすことが共通認識になったが、おいらの場合、2月中旬以来、8割減だ。
どういう8割減か。
おいらのつれあいは、こういうことに敏感に先を読む。「どうせパニックが起きるから、パニックが起きる前にすませたらどう?」
外出機会を減らすため、おこもりに必要な食料と消耗品をネットで買い込んだ。家に在庫があれば、買い物外出はしないで住すむ。1回の買い物で1週間分を買っておけば、週に何回も店に行かずに、週1回でよいことになる。これが外出回数の低減というステイホーム行動である。ただ無理やりに自分を外出禁止にするのではなく、合理的に、行動するのである。
2月終わり頃、買いだめが始まったときには、すでに保有在庫は整っていたので、慌てる必要もなかった。外出機会は、あきらかに少なくできた。
おいらのように先を考えて、人がゲームを始める前に準備を終えてしまうタイプは少ないかもしれないが、老齢者の家庭では、そもそも食事の量が少ないので、買いだめに走らなくても、食品の費消が少ない分、外出を抑えることができる。
老齢者の外出先は、医院や歯医者か趣味の教室通いくらいだ。医院がすんだあとは調剤薬局。いずれにしても、不要不急ばかりなので、元気な老齢者の自己隔離生活率は、かなり優秀だろう。

もともと元気に自主的な生活をしている老齢者は、感染のリスクが低いといえるだろう。病院や養老施設に住んでいる老齢者にとってのリスクは、世話をしてくれるスタッフがどれくらいちゃんと感染防止につとめてくれるかにかかっている。これは、ある種の「運」だろう。イタリア・スペイン・アメリカの介護施設では、棺桶が不足するほどの感染死が起きた。施設で寝たきり生活や車椅子生活をしている人は、残念ながら、自分で自分の身を守れない。喜びのはずの家族との面会も止められていただろう。人生の末期としては、無力感のなかで、嘆くばかりのものになるだろう。想像するだに、恐ろしく、イヤな話だ。

我が身に降りかかるコロナ。未来はわからない。罹るか罹らぬか、言葉の上では5050だが、これを【罹らぬ90罹る10】、あるいは、【99対1】にしていくような行動選択があるはずだ。
オイラはどうすればいいのか????

次号に続く。

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