新型コロナウイルスは、特異点をつくっちゃった

役人のワザ:巧妙なサボタージュ

派手な話題ではありませんが、例の議事録問題は、役人のズルなやり口を明らかにしました。
厚労省内の「専門家会議」と内閣府の「諮問会議」はどちらも、感染症の専門家が出席して政府のコロナ対策の方針をアドバイスする大切な部局。ですが、発言者を特定できる議事録はつくられず、速記さえ取っていないこともあったと報道されました。
これに続く報道各社の記事をみても、どこの誰が議事録をつくらないことにしたのか、誰が会議に速記者を呼ばないことにしたのか、皆目わかりません。
会議で発言した感染症の専門家たちは「発言者の名が記録される議事録にしてほしい」と要望しているのに、そうならなかったのは、会議の事務処理を担当する役人がやらないことにしたからです。
「議事録に発言者の名前を載せない」「会議の速記をとらない」という巧妙なサボタージュは、勝手に一人で決められるようなことではないため、彼に命じた役職者がいると考えるのは妥当な推論です。
しかし、誰がなぜそんなサボタージュを命じたのかは、ナゾのままです。その犯人推理はともかく、日本の官庁組織の内側では、おとなしく従順な下位の現場役に対し、上位の命令者が巧妙にサボタージュやズルをやらせる指導や誘導がある、ということがわかります。
それは、うまくうやれれば、上位の命令者の政治的な得点となります。だれがやったか隠して政治的利益をちょろまかすのですから。
彼も、彼のさらに上部の役職者から命令を受けたか、あるいは忖度して点をかせいだか、何にせよ、表に現れない政治的な指導や誘導が、役人組織内の油圧機構になっていると言えるでしょう。

官僚のやり口を正面から批判してるコメンテーターもいる

金子勝氏、古賀茂明氏、前川喜平氏、小沢一郎氏。この4人のtwitterは、安倍政府・自民党とは不倶戴天のたちばのせいか、官僚のやり口を正面から批判する記事を配信することあります。短いtweetは文脈がわからないので解釈に困りますが、まあ、この人達は筋金入りでしょう。
おいらも、キモは座ってるほうですが、匿名でやっていくので、便所の落書きとみなされても文句はいいません。おいらのハンドル名「ちくてつ」は、あの筑紫哲也氏にあやかったものです。キツイことをおだやかに言う真似もしたいのですが、あけすけにしゃべるのが当たり前になった時代ですので、我流でいかせてもらいます。

おいらの「船中八策2020」


おいらの考えのすべては、国家についての新モデルのイメージから出発しています。竜馬をまねて「船中八策」とか言ってきましたが、次のようなものです。
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1:中央集権はやめ、8つの地方政府を置き、行政AIを使う。
2:中央政府は、外交と防衛と国際通商だけやる
3:地方政府は、警察権と徴税権と民政権をもつ。
4:地方政府が、中央政府の運営に交付金を出す。
5:すべての議会の議員は、国民のくじ引きで決める。
6:国民には、無償住宅とベーシックインカムを支給。
7:裁判員制度のように公務員をくじ引きで選び、国家公務員も地方公務員も順次交代で、ひとりあたり月1回程度、勤務する。
8:1億円以上の個人の金融資産は、地方政府に供出する。
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中央集権をやめ、私有資産に制限をつけ、国民の経緯的面倒は全部国が見て、そのかわり、回数は少ないとはいえ徴公務員制度みたいなことをやろう、ってのですから、「共産主義」「妄想空想的」といわれます。
でも、人類社会の未来を救うのはこれしかないでしょう。国民皆保険、老後の年金の保証、優れたAIを使って高度な行政的知性を実現、議員も公務員もくじ引きで公平にわりあてて無給にすればコストもかからない、ということです。

新型コロナはシンギュラリティ

社会のすべてに大小なにかしらの影響を及ぼす新型コロナ「禍」が起きてしまったことで、いままでの概念と棲み分けをそのままにしたままその場所ごとにいわばつかさつかさで修理復興するようなやりかたは、もうできなくなりました。いままでの概念と棲み分けの線引きが通用しないのですから、予算を割り当てても、何も進みません。いままで通りの日当たりがないのにタネをまいてもしょうがないでしょう。地面の下の水脈も流れを変えているのです。ですから、やるべき唯一の方法は、自民党好みの言葉で言うなら「ガラガラポン」です。それも、社会全体のガラガラポンです。
こうした大胆な実践主義は、ハラリ氏もガブリエル氏もまだ言ってないのですが、そのうち、おいらの考えに追いついてくるでしょう。外国では、1億円は少なすぎるから、500万ドルにしようとかいろいろ応用はでてくると思いますが。

新型コロナで大臣や役人が右往左往していることを、一生懸命やってると褒める必要はありません。公的立場にある当局者なのですから、やるのが当たり前です。西村氏とか加藤氏のように、たいしたこともやってないのにたいしたことをやってるように言う口だけ達者な当局者も多いので、その口説にうっかり乗らないようにしましょう。田村氏も佐藤氏も小池氏も同じです。

 
 

平時か異常時かでいえば、新型コロナの時代は、特異点を越えてしまった時代です。カールワイルが言ってるような技術進化の特異点ではなく、社会意識がかわってしまった特異点であり、昔と同じことで適応できなくなるような特異点です。酸素吸うのを止めて窒素を吸って生きろというほどの激変ではありませんが、酸素濃度が少ない高地に投げ出されたくらいの変化は皆が受けます。
思いもしなかった特異点超えですから、だれも完璧な答えをもってはいません。それで提案されるのは、つぎはぎだらけの応急策ばかりになってしまいます。おいらの「船中八策2020」のように、社会の全部をガラガポンするのが、結局、一番の近道だというような度胸ある提案は誰も出せないのです。平田篤胤は、将軍独裁の社会で尊王を持ち出してバツをうけましたが、明治という次の時代を生むエネルギーは篤胤のおもいついた概念から生まれました。おいらの、「中央集権止めて、ガラガラポン」もそういう種類の概念です。おいらだけでなく、いま安倍政権の腐臭を感じている人々は、たんなる政権交代だけでは社会は良くならないとも感じています。必要なのは、政権交代を越えたガラガラポン。コロナはそういうアトモスフィアを撒くウイルスでもあるのでしょう。ちがうかな?

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